両親が遊びに来てました。世界平和は無理だって話になりました。当然の事なんですけどね?

世界が平和に?ある訳がない。人と人とが争わないなんて未来は存在しない。世界平和を達成するのであれば、人類を絶滅させないといけない。人類間の戦争はそれで防げます。それ以外に選択肢はないんですよ。世界に平和は訪れない。何時だって人類は争い合うんですよ。もし、地球の人類が纏まって、戦争を起こさない様にする時が来るとすれば、宇宙から思いっきり侵略軍が来た時でありつつ、反乱を起こす人が居ない時だけになるだろうな。結論は、無理って事なんですけどね。

 

そもそもですね、戦争というものは、子供の喧嘩の延長線にあるんですよ。なので絶対に無くならないんですよね。感情の赴くままに喧嘩するのが子供ですよ。他人の物を欲しがるのが子供ですよ。それと同じレベルなんですよね。感情を御せない人は絶対に居るんだからな。私ですか?出来てたら、うつ病なんてなってないと思いますよ?感情を溜め込んだからこうなっているのであってですね。これも御せてない証拠ですよ。感情を昇華出来ないんだから。その辺は上手くやらないといけないんだよな。

 

戦争って考えると、起きて欲しくないとか、ぐちぐち言う人が居るんですけど、受験だって、就活だって戦争ですからね?戦い争うんだから。席は無限にある訳じゃない。奪い合うのがそれなんだから。すべての人が望む様な生活が出来ていると思うなよ。出来ない人だっているんだから。それを哀れと思うのか、寄り添おうと思うのかは別だけどな。哀れと思う方がマシである。寄り添おうとする人の殆どが自分がその境遇に置かれるのが嫌だから、寄り添っているだけなんだよ。

 

恵まれない人が、恵まれないままで居て欲しいから寄り添うの。自分は5段も6段も上から見ているんですよね。甘い言葉で恵まれない人から毟り取っていくのは、寄り添ってくる人なんですよ。哀れと思っている人は、無害なんです。近づいてくる人の方が怖いんだよな。良い様に使われるだけの人形としか思われてないんですよ。哀れ哀れと思われている方がマシですね。人間は自分の下に視線を向ける生き物なんですよ。自分の下にまだ人が居ると思って安堵する生き物なんですよ。

 

だから、戦争は無くならない。隣にいる人に唆されて、上を見てしまうから。寄り添う人は唆してくるんです。貴方は下ですよって。だから戦争を始めてしまう。上を見せられるから。自分が下になっているのを確認してしまうから。下だけ見ていればよかった人に上の存在を意識させられるから。その時に、感情を御せてない場合は、2通りあるんですよ。発狂するか、圧し殺して塞ぎこんでしまうのか。感情を御せる人の方が珍しいんですよ。大抵は無理なんです。それが人間なんだから。

 

今回はこんな所で。両親とと言いますか、父親とは良くも悪くもそんな話をしてばかりですよ。母親の方が気にしていない。同じく隣にいるけれど、父親は上も下も見ていて、母親は上も下も見ていない。どちらの方が生きやすいかと言ったら、母親の方が生きやすいでしょうね。良くも悪くもですけども。現状を受け入れているという事ですから。現状に不満がある私や父親は、上を見ては憤り、下を見ては安堵する。何時かは上から転げ落ちてくるんじゃないかと期待してしまうんですよ。

 

上も見ない、下も見ない、母親は凄いと思いますよ。ある種の悟りを開いていると言っても良いのかもしれない。諦めている訳でもなく、ただ受け入れる訳でもない。強い人だとは思いますね。私には真似は出来ない。どうしても上も下も見てしまう。上から転がり落ちる人を嘲笑い、下から這い上がる人を苦虫を噛み潰したかのように見送る。強くはなれないですよ。殆どの人が弱い人間だと思っている。強い人ばかりだと、戦争なんて起きないから。戦争が起きるって事は、そういう事なんだろうと思う。

 

ここまで読んでくれてありがとうございます。誰しもが闇を抱えて生きている訳です。光しかない人なんて殆どいないと思っているんです。闇がない人なんていない。私の母親も闇は抱えているはずだから。それが見えない、見せていないってだけなんですよ。人類が強くあるのであれば、戦争は起きないだろう。だけども、人類は弱い生き物なんですよ。下ばかりを見ている人が大半だと思います。私みたいに上を見始めると、いつか戦争をと思ってしまうかもしれないからな。それだけの力があるのであれば、どう使うのか。私には自分が一番解らないんですよ。次回もよろしくお願いします。

なんだかんだ言いつつも、実行力が無ければ無意味なんですが。