庭師は動き出している所なんですよね。私の書いているものって、動くときと止まっている時がある気がする。

多分ですが、気分の問題なんだと思うんですよね。そういう気分だったってのが一番の原因なんだろうなあ。特に一番の原因はお腹が空いているのかどうかだと思うんですよね。満腹になると、止まる。空腹のときほど動いている気がする。でも空腹を放置できないんだよなあ。食べてしまうんですよ。意思が弱いのでね。食べようと思ったら食べてしまうんだよなあ。だから痩せないんだけどさ。

 

魔法屋は動くとかそういった話でもないのでね。魔法屋は動かないです。7月の末くらいまでは動かないです。そういう話だからな。日常を書いているんですよね。日常系ではない。日常なんです。庭師は、もうすぐ一旦止まるかな。10話くらい止まってから、動き出すと思うんですが、読まれようと思うと、止まらずに駆け抜けないといけないんでしょうね。私はどっちも来いってタイプなのでいいんですけど。

 

多分、毎日が激動でないといけないんだろうなあ。読者はそれを求めているのかもしれない。求められても答えないんですが。私は私の好きなようにやりますのでね。書きたいものを書く。自分が読みたいものを書く。それでいいんじゃいかなと思っているんですけど、駄目か?結局は自己満足の世界だと思うんだけど。自分が納得して書いているのであれば、それでいいんじゃないかなと思う訳ですよ。

 

そりゃあ、他人からの評価があった方が嬉しいですよ?褒められても貶されても嬉しい訳ですよ。私の作品の中に何かを感じ取ったから感想を書いてくれている訳でしょうしね。何も思う事が無ければ、普通にブラウザを閉じればいいだけの話。何かを残してくれているという事が嬉しいですよね。いやー、でも、貶すのであれば思いっきり容赦なくやって欲しいと思う訳なんですけど。

 

中途半端にやられると、こっちも不完全燃焼になるんですよね。完膚なきまでに叩きのめしてもらえる方がすっきりとするんですよね。特に私の作品に関することとして、何かしらがインフレを起こす訳なんですけど、わざとやっているのでね。平常な世界は面白くないんじゃないか、何かしら壊れている方が面白いんじゃないか、完成形を見せられてどうってタイプではないんですよね。面倒くさいでしょう?

 

壊れていく様が美しいと感じることもあるし、作っている所が美しいと感じることもある。完成されていないからこその良さがあると言いますか、何でしょうね?言葉にならない感じがあるんですけど、それを表現したい場合ってどうすればいいんだろうか。私の感性は若干ですが、狂っている所があるのでね。自覚はある。普通ではない様な感じはしている。特殊性癖持ちなんだろうなあ。

 

今回はこんな所で。完璧主義者には合わないんだよなあ。完璧は求めてないんですよねえ。完全であるという事を求めていない。だから駄目なんでしょうけども。もうちょっと普通の感性に合わせないといけないんだろうなあ。難しいんですけどね。普通が何かを解ってないのでね。普通ってなんだろうか。普通か。何処にあるんだろうな。私は色々と狂っているからなあ。

 

だからサイコパスなんだと。多分ですけど、20人居たら1人くらいサイコパスが混ざっていると思うんだよな。軽度の奴な。私は軽度だと思っているんですよね。重度の奴は流石に解らないけどさ、軽度の奴はその位はいるんじゃなかろうか。なんかよく解らないけど、常識がこうらしいからこうしておくかみたいな。無いですかね?周りの常識に疑問を持つことって。私はあるんだよなあ。

 

ここまで読んでくれてありがとうございます。一番解らないのは、人を使う人が下手な人っているじゃない。それを駒を使うみたいにどうのこうのって言うじゃない?将棋とかチェスって駒を大切にしないといけないでしょう?そりゃあ捨て駒とかもありますけど、基本的には大切にしないといけない訳でして。悪い意味として使っているんですよね?駒は大切に使うものなんじゃないかと思うんだけど、私が間違っているんだろうなあ。別に良いんですけど。次回もよろしくお願いします。

普通の幅が狭すぎませんか?